【情報】スリ・カンディ王国軍
我が国における近代的な軍隊の起こりは、16世紀以降の欧州蚕食時代の民兵組織と言われています。直接的な前身組織は1881年にイギリス指導下で設立された「キャンディ軽歩兵義勇部隊(Kandy Light Infantry Volunteers)」で、主任務は駐キャンディ英国軍の支援でした。やがて同組織は1910年に複数個連隊で構成された「キャンディ防衛隊(Kandy Defence Force)」へ発展し、1937年には海軍の前身組織である「キャンディ義勇海軍(Kandy Naval Volunteer Force)」が併立して設立されました。1948年に英国保護を離脱すると両組織は発展的に改組され、それぞれ「王立キャンディ陸軍(RKA)」「王立キャンディ海軍(RKN)」として再出発しました。1951年には「王立キャンディ空軍(RKAF)」が設立され、ここに現行の軍制度が完成しました。
とはいえ隣国と友好な関係にあった王国は差し迫った脅威もなく、軍の成長は緩やかなものでした。変化が訪れるのは1971年の共産主義者武装蜂起事件で、この時から軍は内乱鎮圧の性格を帯びるようになります。1983年から始まったスリ・カンディ内戦で、陸軍はタミル人テロリスト集団の鎮圧に三面六臂の活躍を見せ、海空軍の支援の下にこれを粉砕しました。対テロリスト戦闘に関する豊富な経験値を得た王国軍は、現在でも南アジア有数の規模と戦闘経験を誇ります。一方で国防予算は約2,300億₨(約15.7億ドル)と、南アジア諸国に比べるとやや低い水準と言えます。
王国軍の最高指揮官は名目上国王陛下ですが、憲法上の規定により首相に委任されています。政府組織の機能不全などが発生した場合には国王陛下御自ら指揮あそばされますが、独立以来そのような事態は発生していません。
平時における軍全体の統括は国防省が担っており、その傘下に三軍と警察を擁しています。国防大臣は原則として首相が兼任し、国会議員である政務次官が補佐します。1999年以降軍の指揮は首相単独では行われず、専ら国家安全保障会議によって為されます。メンバーは首相、政務次官、三軍高級将校、警察総監。
上述したように、王立キャンディ陸軍はテロリスト集団の鎮圧・殲滅に多大な功績を挙げました。その人員は現役約20万人、予備役4〜5万人と王室警備連隊1.8万人を抱えます。
装備品は陣営の東西を問わず様々な国から導入されていますが、重装備などはソビエト連邦や清華からの輸入が多くを占めています。ただし同装備類は開発から半世紀以上経っているものも多く、予算の都合から更新に至らないことが弱みとして指摘されています。
王立キャンディ海軍は、先の内戦で陸軍に次ぐ活躍を見せました。テロリスト集団の多用する「スウォーム戦術」に対して圧倒的な制圧力を誇った海軍は、現在はインド洋における武器密輸阻止のための活動を行なっております。
所属人員は約4.9万人、保有艦艇は90隻以上。その内7割近くが小型の高速艇で、低強度紛争などにおける非正規軍制圧や平時の沿岸警備などに特化しています。
王立キャンディ空軍は三軍の中で最も新しく、また内戦では航空支援や輸送任務に徹していたため華々しい戦果は挙げなかったものの、勝利には欠かせなかった組織であります。
予備役含め約2.8万人が160機を超える航空機を整備運用していますが、陸軍と同じく保有機の旧式化が問題となっています。
国内の空港はほぼ全てが軍民共用で、空軍が運用しています。ある意味、国内指折りの不動産所有者と言えるでしょう。
0コメント