【情報】上座部仏教とは何か 基礎編

仏教とは何か

仏教とは字義の通り「仏の教え」である。ここにおける仏とはゴーダマ・シッダールタすなわち釈迦如来のことであり、他の御仏などは後世新たに説かれるなどして成立したものである。
その教義の根本は「苦の輪廻からの解脱」である。原始仏教成立当時の古代インドでは「輪廻(サンサーラ、saṃsāra)」と呼ばれる考えがあり、人に限らず命あるものは皆無限に生まれ変わると信じられていた。これについて釈迦は「繰り返される生は苦しみである(dukkhā jāti punappunaṃ)」と説き、修行によってその輪廻から脱出すること(解脱)を目指したのだ。
また仏教の特徴的な教えとして、因果論が挙げられる。命あるものが輪廻して新たな命として転生する際に、生前の善行や悪行が関わる(善因善果、悪因悪果)。この考えを援用すると、人の生が苦しいのも因果によるものなので、この原因を取り除くことが修行の終着点である。
他の特徴として「空」「色」「無我」などがあるが、長くなるのでここでは割愛する。

仏教の「宗派」

釈迦が悟りを開き説教を開始したのは、概ね紀元前5世紀頃のこととされる。やがて釈迦は入滅し、すぐにその教えが結集され口誦にて、後には文字にて伝承されていった。これが最初の「仏典結集」である。
入滅100年で教えに異同が生じ始め、2回目の結集が行われた。この段階で出家者集団(僧伽)は2つの派閥「上座部」「大衆部」に分裂し、更にその2派も多数に分裂した。この時期の仏教を「部派仏教」と呼ぶ。上座部の一部は我が国スリ・カンディや東南アジアに伝わり(南伝仏教)、特にスリ・カンディではその地理的特性から現代に至るまでこの時期の仏教が遺された。
紀元前3世紀頃にはアショーカ王の治世で3度目の結集が行われ、この時期から文字による伝習が盛んになった。この頃仏教は西北インドから中央アジアを通って東アジアに到達し(北伝)、相当な教義の変更を通じて大乗仏教が誕生した。現代日本において仏教と言った場合、基本的にこの大乗仏教を指す。
7世紀にはタントラ教と習合して密教が成立し、秘された儀式による即身成仏を説いた。これは大乗仏教域の他にチベット高原などへも伝播し、8世紀に成立するチベット仏教の原型となる。

上座部仏教の特徴

上述したようにスリ・カンディの仏教は初期教団からの直接的な末裔で、古くからの戒律を良く残している。2回目の結集で根本分裂が起きた原因は僧伽それぞれにおける一部戒律の変更の可否であったが、上座部はその内変更を認めなかった派閥である。
経典に用いられる言語はパーリ語で、このことから「パーリ仏典」などと呼ばれる。現代において、パーリ語は上座部仏教圏では典礼言語として、またリンガ・フランカとして広く通用する。上座部仏教において、仏典は黙読よりも口誦が重視されている。仏典の継承は口授によって行われるため、競技を体得した僧侶が招かれる。
「上座(thera)」とは僧伽の中で尊敬される比丘を指し、他の訳として「長老」が充てられることもある。大乗仏教域からは「小乗仏教」などと呼称されることもあるが、これは大乗との対比による侮蔑表現を含むので望ましくない。
上座部仏教全体の特徴として、そのほぼ全てがスリ・カンディの大寺派の系統に属するため、大乗仏教の多様性に対してかなり統一されている点にある。解脱に至るまでの最適解を「戒律の厳守」「瞑想による八正道の実践」とし、また在家者についても出家者→在家者という一方的な上下関係ではなく、在家者にとっては自分の代わりに修行に勤しむ存在であるから、それを肯定して布施を行うことで在家者も功徳が積まれる。

執筆者:ビームラーオ・ダルマパーラ
スリ・カンディのガンゴダーウィラ大学卒業、日本の南都大学客員教授。専門は南伝仏教史、仏教教義。

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