【文化】古都ポロンナルワ
ポロンナルワはアヌラーダプラ州ポロンナルワ県に存在する古代都市の遺跡であります。前回の記事「聖地アヌラーダプラ」にて11世紀に遷都があったことは話しましたが、1017年のローハナ遷都の後に建設された都こそ、このポロンナルワなのです。
アヌラーダプラ放棄の直接的原因は、南インドからタミル人王朝が侵入したことにあります(チョーラ来寇)。これは1070年にシンハラ王ウィジャヤバーフ1世が撃退に成功し、以降約160〜180年の間ポロンナルワ王国の都として機能しました。
ウィジャヤバーフ1世の孫のパラークラマ・バーフ1世の御代に灌漑設備が大規模に整備され、乾季の間も農業が出来るよう整えられました。さらに防衛を兼ねて築かれた農業用水池パラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)は面積23㎢を誇り、現在でも景勝地として親しまれています。また仏教建築の数と質は目を見張るほどで、ガル・ヴィハーラの釈迦涅槃像(冒頭の画像)や現存最大の仏塔ランコトゥ・ヴィハーラ等、枚挙に暇がありません。かくして公益や農業による発展は最高潮を迎え、首都での自給自足が叶いました。
しかしこの繁栄は1世紀半で終わりを迎えました。ニッサンカ・マーラ1世以外の王族が悉く南インドの王侯貴族を支持基盤とした結果彼らの侵入を招き、13世紀前葉、ついに同地パーンディヤ朝によって滅ぼされました。都はダンバデニヤへ移されてダンバデニヤ王国となり、19世紀のポロンナルワ遺跡発見までジャングルに埋もれることとなります。
現在ポロンナルワはアヌラーダプラ州第2位の都市として再び繁栄し、その景観の美しさと考古学的重要性から人気ある観光地の一つとなっています。我が国でも指折りの「清潔な町」と名高いポロンナルワ、あなたの観光ルートに組み込んではいかがでしょうか。
0コメント