【情報】セイロン史概説② アヌラーダプラ王国とその系譜
王国の成立と発展
南インドから渡海した紀元前6世紀のシンハラ王ヴィジャヤはセイロン島各地に入植を開始し、シンハラ文化圏を建設した。この植民都市の中にアヌラーダプラがあり、やがて王国を形成した。より厳密に言えば、同地を治めていたウパティッサ・ヌワラ王国のパンドゥカーバヤ王が都をアヌラーダプラに移したのである。紀元前377年のことであった。
以来王国は1,500年もの長きに亘りセイロン島の最高権威であり続け、全土に影響を及ぼした。地方政権が度々独立したり、5世紀には王都が一時的にシーギリヤに移ったりもしたが権威は衰えることなく、南インドのパーンディヤ朝からの攻撃も凌いだ。
王国の滅亡と系譜
諸行無常、生者必滅。アヌラーダプラ王国はチョーラ朝からの侵入を遂に防ぎきれなかった(チョーラ入寇)。彼らに破壊されたアヌラーダプラに代わってポロンナルワが王都となり、1017年、ここにアヌラーダプラ王国は滅亡した。一方のチョーラ朝も13世紀にはセイロン島から撤退し、王国を継いだポロンナルワはここから200年の繁栄を遂げることになる。さらにポロンナルワ王国は13世紀前葉にダンバデニヤへ遷都しダンバデニヤ王国として再生したものの、こちらは100年と経たずに滅んでしまった。後のコーッテ王国との間は100年ほど空いているが、その時期に栄えたガンポラ・ライガマ両王国との繋がりは明らかではない。
0コメント